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H30.4.25
Time
7:30
Stage:謙一の家

【謙一】
……んじゃ。そろそろ
謙一は深刻な顔をして、立ち上がった。
辛く、苦しい闘いの時が訪れたからである。
それを告げる、アクション。謙一自らがまず起こす行動によって、それは確かに始まりを告げられるのである。
いつもより十数分早く起床し、食事し、歯を磨き……少しの時間を、畳に着座し費やした。
それから、立ち上がった。今、靴を履いた。
出発である。

【謙一】
ホントに、悪いな亜弥
何度目か分からない謝罪。

【亜弥】
大丈夫ですよ
返ってくるのも、何度目か分からない反応。
全く進歩のない会話。

【亜弥】
2日分、兄さんの居ない夜を過ごすだけ――長いようで短い、いえ決して短くないというか

【亜弥】
短いなんてことはありえないですが、それはもう今夜すら明けないのではないかというか

【亜弥】
絶望という概念がもしかしたら掠めたかもしれないですが、きっと大丈夫です

【謙一】
絶望とエンカウントしてる状態を十中八九大丈夫とは云わないけど……
全く進歩のない、揺るがぬ笑み。
それが、いつも俺を支えてくれた。そうして亜弥が俺の言葉に真摯で居続けて、俺を信じ続けているから……今の俺がある。
そして……俺は、大博打に出た。
3ヶ月前の大博打の結果は、まだ分からない。俺たちを人の世へ誘うのか、地獄へ堕とすのか、確定地点は未だ見えてこない。
それでも足掻くことはできるから……俺は、今日を迎えた。
家を2日も空ける――いや、亜弥を独りにする決断をしたんだ。
亜弥がこうしていつも全く変わらず頑張ってくれるから……俺も、また大きな勝負に出る。

【謙一】
……行ってくる

【亜弥】
行ってらっしゃい、兄さん

【亜弥】
何というか、こう云って良いのか分かりませんけど……

【亜弥】
どうか、楽しむことができますように

【謙一】
ああ!
笑って帰ってきてやる……!
これから先の時間で、亜弥が楽しむことのできるように――!
玄関のドアを越えた謙一は、振り返らない。
始まったから。
ここから先の顔は、亜弥に見せない、本気の姿であるから。
――真理合宿。
二宮政権時に生まれた、毎年恒例のお泊まり企画。
1年生は、真理学園生活の定着や進学直後のクラスメイトとの親睦を兼ねて、歓迎祭のすぐ後に予定を組まれる。今年度は、A等部の1年が先に合宿を迎えた。
修学旅行とはまた別枠のイベントであるが、合宿先は真理学園どころか、優海町ですらない。
だったら普段まず行かないであろう遠所なのかというと、断じてそうでもなく。
冨士美町。割と近くである。
冨士美町に入る自体は、真理学園の学園大道路バス乗り場から乗車して十数分で可能である。
というか井澤謙一の現住所も冨士美町である。

【謙一】
何か、全く新鮮味無いんだよなぁ……
C学級の日帰りハイキングイベントの方が遙かにワクワクしましたわ。

【幸薄ギャル】
分かる分かる。バス貸し切るからにはもうちょっと距離走ってほしいわよねー

【謙一】
でも、北西に向かうんすよね。冨士美の、自然地帯に

【幸薄ギャル】
その通り。ま、井澤くんもすぐ慣れるんじゃない? 少なくともコレ含めて3回あるわけだし

【謙一】
なるほど、そういや1回きりじゃねえもんな
――この人は皆崎薫先生。
俺たち特変の授業で保健体育を担当する被害者だ。
どうやら学園長に無理矢理飛ばされてきたらしく、嫌々俺らの面倒を見たのは最初の授業の10分だけ。それからはアイツらを放牧(放置ではないらしい)して、俺に日頃の愚痴を零す残念なお姉さん先生である。
若くて見た目はギャル、考え方も結構フランクで、真理学園教師ではなかなかに人気のお方。でもきっと職務放棄して教え子にそれを押しつける姿は特変だけで見れる光景なんだろう。
そんな残念な皆崎先生が、俺ら専用のバスに乗る顧問の一人に選ばれてしまった。風の噂だが、職員室で公正なくじ引き大会が開かれていたらしい。俺らどんだけモンスター扱いされてるんだろう。
……で、顧問がもう一人、いらっしゃるわけだが――

【翠】
譜已ちゃーーん、バナナ持ってきたわー! 一緒に食べましょ~~!!

【譜已】
……3年連続で、お菓子がバナナ……

【奏】
いやまぁ確かにバス会社的には車内でスナック菓子開かれるよりは? バナナの方が良いんだろうけどさぁ……

【奏】
何というか、食べれないわけじゃないけど、わ~~~い、ってテンション上がんないんだよねぇ……

【翠】
奏ちゃんと凪ちゃんの分までしっかり用意したからね~!

【翠】
ささ、しっかり楽しめる時に楽しんでおかないと~! ゴールは既に近いわよ~

【凪】
気持ち悪くなるので要らないと去年も一昨年も申し上げた筈だけど

【沙綾】
烏丸さんって乗り物弱いタイプ? 吐かれても困るから、読書しないで寝ればいいと思うの。あんな感じに

【情】
ごがーーーーー

【志穂】
ぶおーーーーーー

【美甘】
(うるせえ……ねれねえ……)

【凪】
私にあんな無様な姿を晒せというの。隣にこの子が座ってるのに?

【奏】
いつでも寝ていーよー! 油性ペン10本用意してきたから!

【譜已】
9.5本くらい使わず帰ると思う……

【乃乃】
待ってください奏さん、もしよろしければ5本私に恵んでください

【乃乃】
実は私、あろうことか浣腸剤を忘れてしまったんです。容器ごと!!

【薫】
浣腸剤と油性ペンの繋がりが見えてこないのよねー……

【謙一】
おい二邑牙分かってるな、間違っても核弾頭に装填させんなよ

【奏】
私も自殺願望持ってるわけじゃないんで、聞き分けまーす!!
にしても。本当に景色に新鮮味が無い。
遠足が目的じゃないからその辺は俺も聞き分けるけども……皆崎先生も云っていたように、やっぱり遠出するからには遠くに行きたいものだ。まぁ俺的には日帰りだとなお良し。
……だが、コレは遊びじゃない。
少なくとも俺にとって、この三日間は断じて遊びではないのだ――

【謙一】
――だというのに
約30分後、謙一ら2年は林道を歩いていた。

【謙一】
お前ちょっとマジで巫山戯んな

【志穂】
あ?
慣れ気味な特変面子は知った道を先行く。
その歩みを、一番後ろから附いていく二人。
寝起きの志穂の顔には遠足気分の目糞が付着していた。

【謙一】
気張れと云ったのはお前の方だろうが。何いきなり朝から寝てんだ

【志穂】
るせーなー。バスの中どう過ごそうが私の勝手だろーが

【志穂】
本格的な闘いになるとしたら、それはこれから

【志穂】
無駄な体力、本番前に消費しないよう気ぃ遣ってたんだぁ……ふわぁ~

【謙一】
とてもそんな器用な意図をお前から察せられない俺が間違っているんだろうか

【奏】
また此処で3日間かぁ~……

【奏】
お風呂おっきいけど、ボロっちいんだよねぇ……改修したかなぁ

【翠】
してないわね~

【譜已】
お母さんが云うなら、確実にしてないね……

【凪】
トップが云うのだから間違いないのでしょうね

【沙綾】
学園長~、私専用の混浴風呂作ってー、的な意見かれこれ100枚ぐらい此処に提出したんだけど、何か知らない?

【翠】
初めて知ったわね~

【沙綾】
つまり今年もかーくんとの混浴計画は叶いそうにないかー……あー残念

【沙綾】
まったく、学園長のお友達という割には頭硬すぎないかしら?

【奏】
寧ろ遠嶋パイセンの頭どっか融けてない?

【翠】
というか、ちょっと詳しいお話いいかしら~

【譜已】
あ……お母さんのストレスゲージが膨れ上がってる……

【奏】
よっしゃ無罪組、退散!

【凪】
無難な判断ね

【志穂】
あの学園長、一応説教できたんだな

【謙一】
お前が寝てたあの十数分で一体何度俺が平和を守ってやったと思ってる。あの時もし二手先を読み違えてたら俺ら全員ケツに油性ペン刺さってたんだからな

【志穂】
やべえなソレ、何の合宿だよソレ

【謙一】
ということで猛省と感謝を求める

【志穂】
みみっちい男だなー。ま、実際助かったからなー

【志穂】
アザシタ~>(°ε °;)
うっっZEeEEEEE――!!

【志穂】
まっ、お陰様で充電バッチシ。泥舟に乗ったつもりでいろ

【謙一】
沈没どころか散り散りになりそうだなソレ

【志穂】
つっても……客観的に考えてだ、戦力不足は確かだ
志穂は前方で騒ぐクラスメイト達を眺める。
彼らの跡を、ただただ附いていく。

【志穂】
私らは真理学園入門したてだ。このハンデは、小さくない

【謙一】
……だろうな
そもそもの土台が、平等じゃない。
PAST

【沙綾】
因みにだけど、そんなボロ雑巾レベルで陳腐なことを云っちゃう井澤くん

【謙一】
な、何だよ……

【沙綾】
ほんとーに……そう思ってる?

【沙綾】
具体的には、私たちをソレで納得させられるって思ってる?

【謙一】
……そんなの。考えるまでもねえよ

【沙綾】
うん

【謙一】
できるわけねえだろ! 俺でも動かねえよこんなザラザラな啓発!!
RETURN
ある種、説得という要素も含まれる今回の闘い。
特変を何とか一つのクラスとして整えることにおいて、如何にこのハンデが致命的であるかは、この前の委員会決めでよく思い知らされた。

【謙一】
特変も、真理学園のクラスであることは変わらない……つまり、アイツらは俺らよりも真理学園を理解してる

【謙一】
だというのに、俺たちはアイツらを真理学園の一クラスとなろう、なんて説得をしようとしてる

【志穂】
ペラッペラな押し付けがましになるのは明白だな

【志穂】
だからこそ今週私らは密会を開いて作戦を考えたわけだが、結局このハンデを覆すには至らない

【志穂】
まぁ、一部真理学園なんて枠も考えなさそうな奴は見受けられるが……

【美甘】
…………

【情】
…………

【志穂】
銘乃なり二邑牙なり、あの辺は真理学園ってのを潜在的にでも意識してる

【謙一】
譜已ちゃん辺り、味方にできれば良かったんだが……
結論からいって、無理ってことで秋山に同意した。 流されやすいとは云わないが、譜已ちゃんは二邑牙や烏丸だけでなく、他の鬼畜先輩たちに逆らうのが苦手。良い子である証拠だが、俺らいわば革新派に招き味方と認識するのは寧ろ危険だと判断した。
それに、真理学園を知らないというのは弱みである一方、強みにもなり得る。否定派の遠嶋や烏丸の態度からしても、特変というのはやはり前年度までの真理学園と乖離するような性質なのだろう。それならば真理学園という前提知識と生活適応は、この革新的なクラスの根本を整える作業において障害になるかもしれない。
結局、今回の合宿でその作業をやるなら俺たち新規組同盟だけで動かすのがベストだということになったのだ。

【志穂】
そして、立場上、私は大々的に発言ができない

【志穂】
おめーが頑張らなきゃ、アイツらは絶対に動かない

【謙一】
ああ
秋山が活躍し過ぎることは、逆効果。 今回何より試されるのは……この俺、新たな特変管理職井澤謙一の手腕ということだ。
二邑牙らへんは兎も角、衒火や遠嶋は恐らく俺ら同様、特変における今回の合宿の意義を悟っている筈だ。
俺の器と呼ぶべきものが、これまで以上にリアルに評価される。

【謙一】
まったく……俺は中心に立つ性格じゃないんだけどなホントに……

【志穂】
その辺の真偽も、今回分かるってことだろ

【志穂】
スケジュール確認だ

【志穂】
取りあえず今、現地に到着して部屋に荷物を置きにいく段階だ

【志穂】
恐らく女子はこれからどのベッドを占有するかで争うことになる。闘いはこっから始まる

【謙一】
逆に男子は二人だけだから、寛ぐ時間も出来そうだな
衒火と一緒にどう寛げという問題が発生するが。

【志穂】
まぁ、コレは所詮前哨戦。本番はその次からだ

【志穂】
全体講義……事前に知らされてる情報はただ一つ

【謙一】
真理学園の歴史……俺たちにとって有益になるかどうか

【志穂】
即物的な意義は無いだろうが、同じ土台に近付くって意味考えたら無駄じゃない

【志穂】
つってもどうせ私寝るだろうから、おめー絶対起きて聴いてろ

【謙一】
オイ

【志穂】
こういうの絶対寝るんだよ私ぁ。知りたきゃ後でテキトウに調べて知ればいい

【謙一】
俺だって寝る自信あるわ
歴史の授業2時間半はヤベえわ。確かに合宿って感じがする。 それを秋山の分まで生き残ったとして、昼食を挟んで次に来るのが……

【謙一】
クラスアクションはマジで起きてろよホント

【志穂】
だからその為に全体講義は休んどくっつってんだ

【謙一】
クラスの親交を深める時間か……
思い出したくもない、親睦会の悲劇。 ただ普通に取り仕切ろうとしたら、あの日の二の舞になるのは目に見えている。 ……だからこそ、あの時には無かった要素――秋山の補助が活きてくる。

【志穂】
90分も何やんのかって話だが、この時間が勝負なのは確定だろう

【志穂】
その後に控えてるレクも、何か嫌な予感がする……パッパとケリ付けて備えた方が良さそうだ

【志穂】
……一日目はこんなもんだ。兎に角、クラスアクションだ

【謙一】
それに備える、最後の思考時間……
それが――全体講義。